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初代ティエリ・馬車の時代

エルメスの創業者ティエリ・エルメス(1801〜1878)は、ドイツのライン川沿いの街クレーフェルト(当時はフランス領)に生まれた。馬具職人を志したティエリは、成長するとパリヘと向かい、その後イギリスでも修行を重ねていく。鉄道や自動車が登場する以前の時代である。馬は唯一の交通手段としてヨーロッパ中で重用され、パリやロンドンなどでは優雅な馬術や馬車を重んじる馬術文化ともいうべき慣習が、人々の社交にも反映されていた。当時の馬車には馬の数や車輪の数、幌付加どうかなどにより何種類ものバリエーションがあり、上流階級の人々や洒落者たちが体面を保つためには最低でも2台の馬車が必要になったという。そのうえ、馬車を1台持つには現在の相場で考えると3000万円程度が必要だったというから、大変である(『馬車が買いたい!』)。優雅な馬車やその格に相応しい馬具を備えた馬は、男性にとって格好のステイタスシンボルとなっていた。当時のフランス小説にも頻繁に描かれているように、恋愛の小道具としても欠かせないものになっていたから、なおさらのことである。こうした時代背景のなかで1837年、ティエリは「鞍・ハーネス職人(乗馬などの際に用いる馬具類を制作する職人)」としてパリのランパール通りの職人街に工房を構え、ここに「エルメス」の歴史がはじまった。機能性が高くデザイン的にも優れた鞍を作るティエリは、馬具の愛好者の間でその評判を着々と高めていく。それはのちに「エルメスの鞍をつけた馬は持ち主よりもお洒落だ」と称されるほどであった。ナポレオン3世が即位し、第2帝政期(1852〜1870)に入ると、ティエリは皇帝御用達の馬具職人となり、さらに1867年には万国博覧会に出品した鞍が銀賞を獲得する。宮廷と万国博覧会という、いわば公式に商品の品質を保証する場で認められたことで、最高級の馬具工房としてのエルメスの知名度は一気に高まっていった。馬具やフランス宮廷文化という「イメージ」、最高級の原料と伝統の職人技術にもとづいた「品質」、そして手仕事による「希少性」の高さという、エルメスというブランドの原点が形作られていったのである。もっとも、ティエリ自身は名声の高まりにもかかわらず、職人として馬具製造に専念し、生涯、店を構えることもなかった。現代の多様な商品展開を誇るエルメスの姿は、この段階ではその片鱗をも見ることができない。